大学の授業は不親切だ、と思う前に

高校までの授業であれば、必ず教科書があって、先生が丁寧に板書をしてくれていました。

その板書をそのままノートに取っていればなんとかテストも乗り切れるものでした。
さらに、生徒の理解が追いついていないとなれば、何度でもわかりやすく説明してもらえます。

しかし大学ではどうでしょうか?
教科書のない講義もありますし、板書だってほとんどしない先生もいらっしゃいます。

大教室の講義であれば、学生が理解していようといまいと先生が一方的に話して終わり、ということもあります。

これを不親切ととらえるか、それとも前向きにとらえられるか。
それによってあなたの4年後は大きく変わってきます。

大学は社会に出る前の最後の訓練の場

大学生にもなれば、なにかと主体的に動かなければならなくなります。
今までの受身の姿勢から転換することが求められます。

冒頭でお話したように、大学の授業だってそうです。

これを不親切だといって考え、努力することを放棄してはいけません。
大学は社会に出る前の最後の訓練の場所なのですから!

社会に出てからも同じ

例えば、会議や商談の場を想像してみてください。

詳細なレジュメなどを用意してくれれば良いのですが、多くの情報は口頭で伝えられる事が多いものです。
社に戻ってから、詳しく書いてくれなかったからわかりませんでした、メモに一生懸命で何を言っていたかわかりませんでした、では話になりません。
また、戻ってからまとめようと思っていましたでは仕事のスピードにはついていけません。

大学の授業では同じようなことが起こっています。
先生が板書してくれず、早口だからわからず単位を落としました、では言い訳にもなりません。

さらにその先生の言いたいことは何なのか?
このテーマの要点は何か?
という事を考える訓練にはもってこいなのです。

そのためには日頃の授業から、話をよく聞き要点をまとめてノートを取れるよう訓練しておく必要もあるのです。
ここはひとつ、先生のせいにはしないで、将来の自分のためだと思って、授業中は是非そのような意識で取り組んでみると、数年後きっと役に立つ時が訪れるでしょう。